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暗闇のなか無音の電子ピアノを弾いてみた

震災の夜、とりとめのない話Part4 最終回

停電で何もすることがなくなってしまったので、夜中に音の出ない電子ピアノでピアノの練習をすることにしました。
真っ暗闇であっても鍵盤の位置は身体に染みついているはず…
ちょうどチャイコフスキーのトロイカも全然仕上がってはいないけれど暗譜段階に来ているのだからちょうどいいかも。。
と軽い気持ちで弾き始めましたが

激ムズ!!

ピアノを弾いて自然と目をつぶる、遠くに目を置くということがあるので「身体に染みついている」「指が覚えている」などと思っていましたが、暗闇では全く距離感がつかめず弾くことができない。
身体で覚えたと錯覚していただけなのかしらとすこし悲しくなりました。

そしてもう一つ気が付いたこと
打鍵しても無音だとメロディが頭で流れなくなるんです
弾いた音が無音だと次の音/音楽が結びついていかないことに気が付きました。

打鍵し音が鳴る
⇒弾いた音が耳から聴こえる
⇒次の音/音楽が頭で流れる
⇒次の音を打鍵する

1音外した途端にボロボロ崩れてしまうのは、暗譜が甘くて実際は弾いた音を頼りに次の音を探している。
[慣れた]を[覚えた]と勘違いしているのだなと思いました。

暗闇のなかで無音のピアノレッスン
新たな発見がたくさんあって勉強になりました!!でも楽しくはなかった(笑
当たり前ですが音が出ないとつまらないですね


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ピアノは生きるために必要か

震災の夜、とりとめのない話Part3

『戦場のピアニスト』でアカデミー賞主演男優賞を獲得したエイドリアン・ブロディさん
彼が出演した映画の中に、イギリスの巨匠ケンローチさんが監督を務めた『ブレッド&ローズ』という作品があります。
中南米のアメリカに移民した人々を描いた社会派ドラマで、ヨーロッパ映画らしく淡々とした作品
「面白いから、絶対見て!!」という程ではない(笑

でも、映画の中身よりタイトルの由来がとても印象に残っています。
『ブレッド&ローズ』とは、移民労働者が掲げたスローガンに由来する。“パン”は最低限の生活、“薔薇”は豊かに生きるための尊厳を意味を表している。
※wiki参照
生きるうえで”パン”は最低限必要、それはわかるけれど、”薔薇”は本当に必要??…それはちょっと贅沢なんじゃない?
そんなふうに思っていました。

私にとってピアノは”薔薇”
ピアノを弾いたり教えたりして生計を立てているわけではないので、弾かなくとも生きてはいける。
けれど…
先日震災があって電子ピアノが使えなくなった時に
いつでも「弾ける環境」があるからピアノはいつでも止められる、弾かなくとも生きていけると思っていたのかと気が付きました。

ピアノは心を生かしてくれる
確かに豊かに生きるための尊厳も必要なんですね。
なのに「いつでも弾ける」環境に戻った途端弾かなくなるという(笑
心は贅沢にできています。


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被災して疲れた心を勇気づけてくれるピアニスト

震災の夜、とりとめのない話Part2

バイオリンニスト、サックス奏者、ギタリストはいつでもどこでも楽器さえあれば演奏することができるけれどピアニストはピアノがある場所でなければ演奏することができない。
今回のような災害時に「音楽で勇気づけたい」などと思っても、被災地にピアノがなければ叶わず、仮にピアノがあったとして被災された方に足を運んでもらわなければいけないですね。
ピアノって場所を選ぶとても不便な楽器だとつくづく思う。

今回地震の被害にあって、ふと南西沖大地震を思い出しました。
1993年奥尻島を襲ったマグニチュードは7.8、推定震度6
今年はちょうど25年目だったのですね。
地震直後に海から津波が押し寄せ、山から火の手が上がり逃げ場を失った大災害。
震度としては今回とそれほど変わらなかったということも驚きです。

このとき奥尻島にピアノを寄贈し、自身も駆けつけ被災した島民をピアノで癒し、勇気づけたスタニスラフ・ブーニンさん。
阪神淡路大震災前は被災地に慰問するなどという時代でもなかったように思いますが、札幌からも遠く離れた小さい島を気にかけ応援してくれたことは道民として、ピアノを習っているものとしてとてもうれしかったです。
その後、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災のときも日本が災害にあうたびに駆けつけピアノで励ましてくれていましたね。

ブーニンさんは今お元気なのでしょうか。

多くの勇気をいただいたこと、電気のつかない部屋で一人感謝していました。


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小学校の音楽室を思い出す

停電の夜

電子ピアノは音が出ない。
明かりがないので本も読めない。
スマホの充電がなくブログを読むこともできない。

やることもなく、あまりに長い夜だったので昔を思い出したり、想像したり、これからのことを考えたり。。
あれこれ思ったことを何度かにわたって書き留めたいと思います。
※正直、どーしょうもない記事が続きます宣言(笑

アパートの汲み上げ式ポンプが動作せず水が止まってしまったため、避難所である家裏の小学校までトイレを借りに行っていました。
個室が広く、子供でも水が流しやすい設計。私が小学生の時は和式だったのに…あれ?洋式だったかな?
30年以上も前に通っていた小学校の記憶をたどり始め
音楽室に飾られていた肖像画はどういう基準だったのだろうかと疑問に感じ始めました。。

バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リスト、ブラームス、チャイコフスキー、ビゼー、ドビュッシー…
そしてスッペ

ドビュッシーという名前もインパクトがありましたが、スッペという名前があまりに強烈でした。
シューマンはピアノ曲と歌曲で有名ですがいなかったような…
クラシックといえどピアノ以外はあまり聴くことがないので有名の基準がわからないのですが、スッペってシューマンよりも有名なのかな??

あともう一つ気になったこと。
私が通っていた小学校の音楽室では足ふみオルガンを机代わりに使っていたが、いまも足ふみオルガンってあるのでしょうかね。
というより今の小学生はしっている?足ふみオルガンって絶滅してしまった?
フィットネス機器だと思えばまたブームが来るかも。。

ちょっと音楽室へ確かめに行きたかったけれど『立ち入り禁止』の文字が…
「子供は社会の宝。みんなで育てましょう!!」などと言いお金は搾取されるけれど休校の校内を見て回ることすらできないのね
と思いながら諦めました。


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フォルテを小さい音量で弾く事

昔、国立新美術館でフェルメールの『牛乳を注ぐ女』を見ました。
※日本初上陸だったため大変込みあい『牛乳を注ぐ女』を見たのか『牛乳を注ぐ女を見る人々』を見たのかわからなくなりましたが。

牛乳大好き


テーブルのうえの陶器やパンの細やかさ、女性の立体感や部屋の奥行
45×40cm程度の小さな作品なのですが作品全体に広がりがあり大きく感じられます。
絵画や書道では実際の作品より大きく見えることがありますが、ピアノもそんなふうに弾けたらな。。。と考えることがあります。

なぜなら私のフォルテの音量が小さいから…

フォルテ=音量が大きい
ピアノ=音量が小さい
※フォルテ/ピアノは強い/弱いではないと思っているのであえて。

どのくらいの音量であればフォルテ/ピアノを言うのだろうか?
フォルテが100デシベルでピアノが30デシベルとかいう??

自分の基準音量から相対的に音量が大きい/小さいが決まるものであって、実際の音量がどれくらい必要かということはあまり関係がない事だと思うのです。
音楽のバランスを崩してまでフォルテ箇所を大音量にする必要はないと思うし、重要なことは音楽全体を通して広がりや奥行きを感じるかどうかじゃないのかな。。
音量差によって演奏が豊かに聴こえることは確かだけれど。

私は自身で演奏する場合、音量が大きすぎることを好まない。
本当はピアノが響きすぎるのも好まないのだけれど、これはどうにもできない。
※ただ家ではソフトペダルを踏みっぱなし。

全体的にもっと小さい音で弾けば、フォルテ箇所が大音量に聴こえるのではないか!!!
と工夫してみたけれど先生から「もっとフォルテで!」って
完全に逆行しすぎた(笑

それにしても大きな音量も響きも好まないってピアノの魅力を全否定しているような…


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